父さん、すごく寂しがり屋さんだった。

ペッキンから台湾へ、母さんと結婚して、ただの三年、離婚。

そして、また彼女できて、25歳差で、よくやったなあと思ってた。

だけど、父さん北京でまた一人の元妻いる。一年一度くらい、中国に戻って、元妻、娘たちに会うために?遊びに?よくわからないけど、お互いに知っていた。向こうではまたほかの女の人がいることを。


台湾に戻って、彼女、私と弟と暮らして、そんな生活、続いていた。

そして、中学生の時に、父さんが病気になって、どうしてもペッキンに帰りたいって、歩けなくても、台湾の彼女と私から離れて、元妻の所に戻って、彼女が父さんを看病してた。

三ヶ月あと、あそこで死んだ。

母さんがなんであそこに帰りたいの?って私たちに聞かれた。あの時の中国ってあまり先進でもないし、病院の施設、医者さんの態度とか、本当に最悪だった。確かなんで帰りたかったのかと私も考えてた。

”あの女の人馬鹿じゃないの、一年一回の帰りもそうだし、元妻一年間溜まった給料は全部父さんの遊び資金になって、またお土産を買って(もちろん台湾の彼女と私たちにあげるため)、また台湾に戻るって、普通の女だったら、怒るだろう?”って 母さんがそう言った。

”だって愛してるから、きっと。”私がそう思ってたが、言えなかった。

ペッキンのお姉さんからもいろいろな父さんの文句を聞いた、父さんがペッキンの病院にいるとき、手紙を毎日書いてた。

元妻が郵便局に行ったり、切手を買ったり、苦労をしたが、

あの手紙は台湾の彼女と私たちに送るためだった。

彼女は字を読めないから、誰宛を知らなかったが、きっとわかるでしょう。

だが、きっとわかってるはずなのに、それにしても愛して、看病して、父さんもこれを知っていたから、どうしても彼女の所に戻りたいじゃないの。

こういう愛情で本当にあるんだ。

今でも、ご飯のとき、必ず父さんのご飯とお箸も用意して、ご飯だよって父さんに言うらしい。

父さん、あなたは幸せだったよ。

私もそういう人になりたい、そして、無私に愛されたい。

いつかできるまで。

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Please don't try to fix me I am not broken

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